ケ・セラ・セラ
|
- «
- 2009.11/
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29
- 30
- »
|
10
| 2009/11 |
12
| 日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
| 1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
| 8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
| 15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
| 22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
| 29 |
30 |
- |
- |
- |
- |
- |
- template by syokuyou-mogura
- FC2ブログ
|
-
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--/
--:-- スポンサー広告 /
TRACKBACK(-) /
COMMENT(-) / PAGETOP
-
 キラキラ画像をMyspaceへ☆
「終わりに,兄弟たち,わたしたちのために祈りつづけてください。エホバの言葉が,まさにあなた方の場合と同じように速やかに進展し[もしくは,“走り”],栄光を受けてゆくようにと」―テサロニケ第二 3:1,「王国行間逐語訳」。
使徒パウロはこのように述べ,自分と自分の同労者たちが妨げなくエホバの言葉を首尾よくふれ告げることができるよう祈ってほしいと,テサロニケの仲間の信者たちに頼みました。エホバはその祈りを聞き届けられました。しかし,だからといって,この使徒が問題を扱わずにすんだわけではありません。彼は世からの厳しい反対に直面し,欺まんに満ちた振る舞いをする偽兄弟たちに対処しなければなりませんでした。(コリント第二 11:23‐27。ガラテア 2:4,5)しかし,そのような状況にもかかわらず,10年ほど後にパウロは,良いたよりが神の祝福により「世界じゅうで実を結んで増大している」と書くことができました。―コロサイ 1:6。
良いたよりは現代でも同様に,しかし,かつてない規模で実を結んでいます。過去のどの時代よりも多くの人が良いたよりに接し,それを受け入れています。神の言葉に予告されている事柄の成就は,競走中の走者のように,速やかに進展しています。―イザヤ 60:22。
1976年まで30年以上にわたって,ノア兄弟はものみの塔協会の会長として熱心に働いてきました。世界中を何度も旅行し,宣教者たちを訪問して励まし,支部事務所の奉仕者に教えや教訓を与えました。兄弟は,活発な証人たちの数が1942年の11万7,209人から1976年の224万8,390人にまで増加するのを見るという特権にあずかりました。
しかし,1976年の夏までに,71歳のN・H・ノアは自分が物にぶつかりやすいことに気づいていました。その後の検査の結果,兄弟には脳腫瘍があり,手術不可能であることが分かりました。何か月かの間,兄弟は一生懸命に引き続き仕事を果たそうとしましたが,予後は思わしくありませんでした。兄弟の健康上の衰えは業の前進を鈍らせるでしょうか。
統治体の増員は既に1971年に始まっており,1975年には成員は17名になっていました。神の言葉は現代に関して,世界的な宣べ伝えて教える業を略述していますが,統治体は1975年のほとんど1年を通して,その業に関係したすべての事柄をどうすれば最もよく世話することができるか,真剣に,祈りを込めて考慮していました。(マタイ 28:19,20)1975年12月4日,統治体はエホバの証人の現代の歴史において特に重要な,組織上の再調整を全員一致で承認していました。
1976年1月1日以降,ものみの塔協会および世界中のエホバの証人の会衆のすべての活動は,統治体の六つの管理委員会の監督を受けることになりました。その取り決めと調和して,1976年2月1日,協会の世界中の支部事務所すべてにも変更が加えられました。各支部を支部の監督が一人で監督することは終わり,3人以上の円熟した男子が支部委員会として奉仕し,そのうちの一人が常任の調整者として奉仕するようになったのです。 それらの委員会が機能するようになってから数か月後,統治体はこう述べました。「王国の業の関心事を検討するために複数の兄弟が相談し合うのは有益であることが明らかになりました。―箴言 11:14; 15:22; 24:6」。
1976年の秋,ノア兄弟は予後が相変わらず思わしくなかったにもかかわらず,本部で開かれた世界中の支部委員たちや支部の他の奉仕者たちとの集まりに教訓者として加わりました。ノア兄弟は日中は集まりに参加し,さらに晩にはそれらの兄弟たちを少人数のグループに分けて自室に招きました。こうして兄弟と妻のオードリーは,兄弟を知って愛している人々,長年のあいだ兄弟と非常に密接な間柄だった人々と親しく交わりました。その集まりの後,ノア兄弟の健康状態は悪化の一途をたどり,兄弟は1977年6月8日に亡くなりました。
ノア兄弟が亡くなってから2週間後の1977年6月22日,83歳のフレデリック・W・フランズがものみの塔協会の会長に選出されました。フランズ兄弟に関して,「ものみの塔」誌,1977年10月1日号はこう述べました。「優れた聖書学者としての同兄弟の際だった評判,および王国の関心事に対する同兄弟の勤勉な業のゆえに,フランズ兄弟はあらゆる所のエホバの証人の信頼と忠節な支持を受けています」。
この交代が行なわれた時には,組織上の新しい取り決めはすでに機能しており,業の前進は確実となりました。
2008/04/18/
18:06 エホバの証人―神の王国をふれ告げる人 /
TRACKBACK(0) /
COMMENT(0) / PAGETOP
聖書は実際に何を教えていますか /
HOME / 100歳を超えても目的を持って生きる
|
|
HOME
|